Dr.Be のフルマラソン 体験記

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青島太平洋 初マラソン 体験記

1998年12月30日記録

1。まえがき 1998年12月13日,明日は私の50才の誕生日, そして,きょうは,40才代最後の日。 それを記念して,もっとも 厳しいレースに,初挑戦することにした。 それが,あの日本陸連公認コースでの青島太平洋マラソンである。
2。寝付けぬ夜 そして,ついにその日がきたのだ。 自分では,それほど,不安でもないし,普段とかわらないつもりではあるが, 前の日は,やはり,気が,昂ぶっているのだろうか,眠りが浅い。 この事を予想して,睡眠用にかぜ薬も飲んでいたのに,体は横になってるのに, 頭のなかは,うずをまいている。 水をたくさんのんでいたせいか,toiletに,二時間おきくらいに行く。 完全に睡眠不足の朝が明けた。

朝は6時に,民宿の人に皆起こされて,朝食を食べた。 6時の朝食は,ちょっと,早いが,大会本部の要請であり,すべての民宿で同じとのこと。 天気は,晴れとの予報で,まずは,ひと安心する。 朝食後,他のグループは,出て行ったが,われわれは,また,ひと寝入りすることにした。 若者は,普段は遅起きだし,それに,たぶん彼らも,十分には眠れなかっただろうと思ったからである。

フルマラソンは9時半のスタートで,競技場まで車で5分だから, 8時に起きることにしてたら,民宿をでたのが,8時半。 すると,競技場前の道路がやけに混んでいる。 皆レースに出る人達の車(ただし,スタートの遅い10kや5kの)だろう。 このままでは, マラソンのスタートに間に合わない と思ったので, マラソン組4人は車を下り,スタート地点近くまで走って行く。

一度,軽く,ジョグをすると,もう時間がなく, スタート5分前になっている。 急いで,スタート地点に行き,とにかく人がいる所に並ぶ。
”ここは,マラソンの スタートですよね”
と確かめて,
”おーい,急いで,いそいで”,
と他の3人をよぶ。

他の3人とは、私が関わってる量子研究室のD3の坂本君,M1の中井君,土谷君の3人である。 この3人こそ,マラソンの苦しさを求めて勇敢にも立ち上がった佐賀大3勇士である。 私と同様のマラソン初挑戦が2人もいる。 我らこそ,マラソンの苦しさをすこしも恐れぬドンキホーテと3勇士である。 彼ら3勇士も私の後ろに並ぶ。 あとでわかったことだが,この場所は,最前列の近くで,速い人達の並ぶ所だったらしく, 我々は,そこに,横から割り込んだのである。 あーとんでもない。まさにドンキホーテと3勇士そのもの。 その時,
”スタート2分前”
の声が飛ぶ。周囲に,声のない緊張が走る。 いよいよ42.195kmだ。 彼ら3勇士のほうをみると, あっと言う間に,時間がきたのでなにがなんだかわからない,という顔をしている。

3。いよいよだ ”スタート1分前”の声。
時計を見て,RUNモードにセットする。 廻りは人,人,人でいっぱいだ。
”よーい”
ズダンとピストルが鳴る。 皆いっせいに飛び出す。
”わー”という喚声が沸き上がる。
”頑張れよ”
”がんばれー”の声,声,また声の中,国道へ向かって走ってゆく。 廻りの人が,やけに速い。 こちらもそれなりに,飛ばしているのに,どんどん,追い抜かれる。 ”心拍数150前後で,行きます”と,先日,古賀先生に話してたのに,心拍数は150をこえて, ぐんぐん上がって180をこえている。 ”大丈夫,これは,表示ミスだ”と自分にいいきかせて,スピードを落とさない。 というより,まわりがあまりに速く,自分がおそく感じられてスピードを落とせない。
1kの表示があり,4分27秒とかなり速いペースである。

国道に入って,すぐ前を,自分とほぼ同じペースで走っている50代の黒シャツのおじさんに気ずいた。 ゆっくりだが,しっかりした自信に満ちた足取りで,そうとうに慣れたベテランではないかと見受けられた。 まわりに次々と追い抜かれてゆき,急ぎたくなるのに,このおじさんのペースは一定している。 この黒シャツのおじさんに,ついていこうかと考えた。 このおじさんは,1kを4分35秒から40秒で走っているようだ。 自分には,ぎりぎりのペースである。このペースで最後までいけるだろうか? 不安がよぎる。 心拍数を見ると165である。
”え,そんなに高いの!?”
この心拍数だと,普通ならそうとう苦しいはずなのに,それほど,きつくない。 これはレースだ。じぶんは本番では,変わる。レースモードだ。レースモードに変わってるのだ。 とにかく,なにも考えずにいけるとこまで,このおじさんについていこうと,決めたら,楽になった。 ひたすら走っていれば良いのだ。

5kを 23分06秒で過ぎる。 自分の予想以上の超ハイペースである。 私の目標タイムは 3時間30分,つまり1kを5分ジャスト,5kを25分でゆく計算である。 ここで,もし,1kあたり10秒速く行けると,トータルで7分時間を短縮できる。 23分06秒のペースは,1kを4分37秒であり,予定より23秒も速い。 つまり15分短縮できる計算になる。 最近の練習では,1kを5分でゆくと, 心拍数が,150位となり,4分50秒では157になる。この心拍数を2時間も続けたことはない。 もちろん心拍数165は普通なら1時間もたせるのが,やっとだろう。 どうなることか?不安の中10kがきた。 この5kを 23分02秒と相変わらず,1kを4分36秒の快調なペースである。この頃になると, もう抜かれることはなく,すこしずつ,抜き返すことの方が多くなった。

4。ふりかえれば 追い越す時に,時々,振返って,その人をみる。いろんな人がいる。 不思議なのは,
”ぜーぜーがーがー”
とものすごい息をして走っている人がいることだ。 もし自分があんな息使いになった時は,もうほとんど走れない時である。 フルマラソンで,10kくらいのところであんな激しい息使いをしなければならない人が 42kを走りとうせるのだろうか? でもその人の激しい音はその後も数kは聞こえていた。

この頃になると,まわりは,ほぼ同じ実力の者ばかりで, まわりの人々は同じくらいのスピードで走っている。 その中でわずかでも速い者が,流れをかき分けて進むし, 少しでも遅いと,集団から置いていかれる。 黒シャツのおじさんは,一定のペースだが,すこしずつ,抜いていく。 しかし こんなことがあった。 10kを過ぎたところで,小学生と思われる小さな子供がすごいスピードで,我々を抜いていく。 思わず,まわりで走っている人達から,喚声があがる。
”がんばれよー”の声が飛ぶ。
我々は4分36秒の快調なペースで走っている。 それをあんな小さい子がすいすいと抜いてゆくとは,すごい。 ただただ,感心してしまった。

5kおきに,給水ポイントがあり,必ず水を取る。 ただ,水をのむと体が冷えて,もようしたくなったのは,困った。 止まって時間をロスしたくない。しかし,我慢できるか? しばらくすると,幸いにも,尿意はなんとか止まった。よかった。 ところが,走ってるうちに,右足の足首の関節が,すこし,痛んできた。 練習中でもよくあることだが,これは,走っているうちに,直るものである。 案の定,2kほど行くと,この痛みもおさまった。 ところで,快調なスピードのわりには,ピッチが遅い。つまり,歩幅を広げているわけだ。 (ちなみに,この時の歩幅は132cmで,普段より10cm広い。) 歩幅を広げるためには,足の筋力を使って,蹴りを強くしている。 いわゆるロングストライド走法で疲れやすい走りかたである。 この走法は疲れがくると 歩幅が縮まり,スピードが,極端に落ちる危険性がある。 なんとかピッチ走法に変えようとしてみるが,うまくピッチ走法に変えれない。

5。おうえんのいりょく そうこうしてるうちに,15kがくる。この5kは22分57秒で,わずかながら,上がっている。 ぽつりぽつりと追い抜いてゆく。 ときどき,女性が走っているのに,驚く。 すごい。 このスピードで走れる女性って,いったいどんな練習をしてるんだろう? 相当鍛えてないと,走れないはずだが。 ひとしきり,感心してしまい,つい
”がんばりましょう”
と声をかけてゆく。 きゅうに,やや苦しくなった。おかしいと思って,心拍数をみると170に上がっている。 前をゆく黒シャツのおじさんがなぜかペースをすこし上げたようだ。きつい。 きついけど,つけるだけついていこう,と必死でついてゆく。 すると,黒シャツのおじさんに対し,沿道から声援がとぶ。おじさんがそれに答えている。 ”ああ,だから,スピードアップしたのか”とわかった。 黒シャツのおじさんは,応援の人達の声援に応えるために,スピードをあげたのである 。応援の力はかくも偉大なり。 お陰で,15kから20kまでの5kは22分32秒と1kを4分30秒のすごいスピードとなってしまった。 今までのレースの成績からすると,私のLTポイントは1kで4分15秒から4分30秒の間にある。 LTポイントとは,このスピードより遅い時は,乳酸が筋肉内にたまらず, 走り続けられるスピードの事である。4分30秒はLTポイントぎりぎりである。 たしかに,今のところ,それほど,きつくはない。しかしこの後どうなるのか? また不安が頭をもたげる。

折り返し点を廻った。 1時間36分27秒のなかなか良いタイムだ。 自分でも,”オー,すごい”と思う。”単純に2倍すると,3時間13分だぞ。 後半もこのスピードなら,3時間10分台が,だせるかも”など,よからぬ皮算用が始まる。 この時点では,まださほど疲れがなく,後半もいける気がしていた。 折り返してすぐ,ハーフになり,そこには,給水だけでなく,バナナも置いてある。 これを楽しみに,ここまで,来たんだ。バナナを一本,走りながら取り,走りながら食べる 。味あう暇もないが,後のエネルギーになってくれる事を祈る。 さきほどまできつかった心臓が,少し楽になった。黒シャツのおじさんが,ややペースを落としたようだ。 折り返し点まで,やや風があり,向かい風だと思っていたが,折り返してからも, やや向かい風のような気がする。 晴天で,日差しが,強くなってくる。 道路の左手には、美しい海と海岸が広がっている。

6。どこにいるの 折り返しからの道は,一ツ葉有料道路の同じ片側車線の右と左はしを走る。 佐賀大3勇士は,どこら辺を走っているのか,気になって中央よりを走りながら反対側を, ずーと探し続ける。 しばらくして,
”先生ー”と叫ぶ声。
土谷君だ。
”オー,ガンバレヨー”
こちらも,腕を振る。一瞬にして,遠ざかるので, もっと,声をかけたいが,できない。 しかし,予想どうり,彼は,元気に, いい所を行っていると思うと,うれしい。 頑張ってくれてますね。 こちらもやらねばと思う。 あとの2人はいないかと,さらに,探し続ける。 もうしばらくいくと
”中野先生!”の声。
お,あの声は,坂本君ではないか,
”オー,頑張れー,調子いいぞー” と手を上げる。
坂本君が,意外にも,こんなに早くくるとは,思っていなかったので, 彼は,調子がいいのだろうと思ったのである。この調子なら,制限時間をクリアできそうだ。 よかった。 3勇士の残る1人は,中井君だが,探し続けたが,見つからない。 どうしたんだろう。 なんにんかが,集団で通ることもあり,見落としたのかもしれない。 とうとう,最後尾を知らせる車が来た。 この辺の人は,苦しそうにあがいて,手足を,ばたばたしている。 中井君は,ひょとして,15kの関門に引っかかったのでは? 心配になる。 でも,私の予想では,彼は4時間ちょっとで走れるはずだから, そんなことはないはずと悪い妄想を否定する。

25kがきた。 この間の5kは23分49秒で,1kあたり4分46秒まで落ちている。 黒シャツおじさん一体どうしたんだろう。 26kすぎで,心拍数が160になり,かなり楽になる。 やや,遅い感じがしたので,追い抜こうかと横に出たが, ”いやいや,ここで無理して,とばしても,後が続かないと意味がない”と, 思いとどまって,また,ぴたりと後ろにつく。 この頃,1人に追いつかれて, ちょうど同じスピードで,3人でゆく。しばらく,3人の並走が続く。このなかで誰が, 一番,余力があるかで勝負は決まるなと思う。 他の2人ともなかなか,良い走りをしている。 自分が一番余力があるとはとても思えない。 27k地点で楽隊が応援をしている。 よくぞ,長い間,応援してくれると思うと,
”ありがとうー”
と手を上げて応えていた。

7。ひとりたび 28kまで来たとき,黒シャツおじさんに異変が起こる。 急に,スピードがダウンする。
”ア,これは,いかん”
と思った瞬間に黒シャツおじさんを,かわしていた 。追い抜きざま,振返って,はじめて,おじさんの顔を見る。 このおじさんには,ペースを作り,引っ張ってもらったことで,感謝している。
”がんばりましょう。今まで,ずーと,ついてきました。”
といったら,以外な返事がかえってきた。
”すいませーん。もう,足にきてしまいました。”
すいませんとは,思いがけない言葉だった。 おじさんは,私が後を,かたときも離れず,ぴたりとついてきてるのを知っていたと思う。 普通なら,それはいやな事だろう。 その厭な相手に,しかも抜かれたのに ,”すいません”と謝っているのである。きっとかれは,
”もう少し頑張って引っ張って行きたかったのに,それができずにすいません”
と言いたかったのであろう。 なんというやさいい思いやりだろう。そこには,負けて悔しいなどという競争心は微塵もない。 なにか,いっしょに走る仲間意識すらある。 そうだ,そうなんだ,これは他人と争うレースではない,自分と闘うレースなのだ。 おじさんのその一言が私に貴重なことを教えてくれた。

ひとり飛び出したものの,誰かに,ついていかないと,不安である。 ちょうど良い人が見つからず, ちょっと速い30代の人についてしまった。 1kを4分40秒位だが,今の私はやや疲れ始めているらしく,4分40秒のペースが,苦しい。 30kのサインが来た時,前を行く30代が,
”よし,30k,ここからが,勝負”
と腕を振り上げて言う。 こちらもそう思うのだが,かれについていくので精一杯である。 かれはもう一段加速したようである。 ついていくと,つぎつぎとまわりの人々を抜いて行ける。 それは,楽しいことといわれるが,今は楽しめる余裕もない。 ぴたりとついていくのが苦しくなる。 そしてついに,離されてしまう。次々とまわりを抜いていく 30代の後ろ姿を見ながら ,こちらはふうふうと頑張る。 しだいに余力がなくなりつつある。

この頃,すごく変わった人を抜いた。 たぶん70に近いおじいさんだ。 おおきな体が,”く”の字に曲がり,足はひどいがにまたである。 そのがにまたが横に広がって,激しく上下している。 こんな姿で,よくぞ30k過ぎまで, 私より前にいたものだと感心する。 長身だし,若いころは,相当に速かった人だろう。 今でも,かなり,練習を積んでる人と見受けられる。 ほんとに,レースでは,色々な人に会う。 互いに話すことはないが,なにか心に感じられるものがある。

8。35キロのかべ 35kがきた。この5kは24分19秒である。 まだ1k5分をなんとか割っているものの,もう5分は無理な所まできている。 かなり苦しくなってきた。 このコースで唯一の下って登る坂にかかる。 下りは,よっかたが,上りになって,きゅうに,両足が,水でも注入されたように, 張ってくるのがわっかた。
”あー,これはいけん,もう,このスピードは,維持できない”
遂に,スピードを落としてしまう。限界は,急激にきた。 さきほどまで,これほど,きつくなかったのに,急に足が動かなくなる。 今は筋力が落ちて足の歩幅を広げられない。 (ちなみに,この時の歩幅は120cmで普通並みに落ちてる。) しかし,1kほど遅めに行くと,足の張りがすこしひいてきたようだ。 できるだけ回転数をあげて,歩幅の減少をおぎなおうと,ピッチを上げようと努力する。 両方の肩の筋肉が痛い。不思議な事に腰が腰痛の時のように関節から痛む。
”あー,マラソンとは,かくも過酷なものか”
とつくずく思う。 最後の給水所で,水をもらう時,後ろで,
”あなたが,女性で20番,がんばってね”
と言ってるのが聞える。 女性がかくも過酷なものによく挑戦するよ,とまたまた感心してしまう。

あと4k(38.2k)の表示がきた。 まだなんとか,1k5分ジャストできている。 今度は体の全体が痛み始める。もう,肩でも腰でもない。 全身それ痛みの山である。 こんな痛みは,練習でも,感じたじたことはない。 もう頭が,痛み以外を感じてない。走るのも苦痛になっている。 道路が曲がっているため,やや斜めに傾斜しているのすら,走りつらくいやになる。 沿道の応援が
”あと2kちょっとよ”
と言ってくれても,”まだ2kもあるのか”と思ってしまう。 普段なら2kなんて,距離のうちに入らないのに。 不思議なもので、足の運びが弱々しくなった途端,意識までが弱々しくなる。 ついに,この2kはK当たり5分25秒まで落ちてしまった。 自分では,頑張っていたいのに,もう体がこれ以上,動いてくれない。時間が長い。 なかなかあと1kが来ない。あーまだか,まだかと意識がそちらに行ってしまう。

9。きらめくごーる ようやく”あと1k”の表示がある。沿道の応援が増える。
”もうすこしよ””頑張って,ゴールはすぐよ”
と声援がとぶが,体に力が入らない。 なにか,手足を必死に動かしているだけである。それでも,のろのろとしか動けない。 意識下は必死に急いでいる,が,外からは,のろのろにしか見えないだろう。 この意識と外見の格差は,実に対象的であわれですらある。 こんなアンバランスは,なかなか経験できるものではない。 頭も意識も,もうろうとした中で,陸上競技場が見えてきた。 それでもまだ力が入らない。 まだ1週廻るのだろうと思っていたら,競技場の中に入れられた。 どうやら最後の一周らしい。最後のゴールが見えたのに,ダッシュがきかない。 体がいうことを聞いてくれない。 不自然なもどかしさを感じる。 そしてゴール。 キラビヤカなはずのゴール。 時計を見やる。 ”3時間20分58秒”で止まっている。 終わった。終わったんだよ。 何も考えれず,競技場内の芝生のなかにうつぶせに倒れ込む。 一瞬にして,目の前が暗くなり,しばらく眠ったようだ。

しばらくして,起き上がると,あたりが,やたらに,明るい。 目玉をつけかえたようにまぶしい。 しばらく座っていたが,水が猛烈にほしくなり,もらいにいき, コーラ3杯を続けざまに飲んでやっとおさまる。 あれほど痛かった足は,今はもうそれほど痛くない。 現金なやつで,しばらく休めば,回復している。 気分が高揚してるのか,痛みも,疲れも,感じない。 ただ,ひたすら寒い。日差しはこんなに強く,明るいのに,体が震える。(注:これは、危険なエネルギー切れの 兆候です。) 3勇士の到着を競技場内で待っていたが,なかなか現れずついに,服を着替えにいく。

10。勇者土谷 服を厚めのものに着替えて,やっと震えが止まった。 そうこうしてる内にちょうど,そこに,土谷君が来るではないか。
”オー,土谷君ガンバレ!,ゴールはすぐそこだ。ヤレやれ”
と思わずどなったら,
”そうですか,それでは,全力疾走します。”
というがはやいか, 本当に,ものすごい勢いで,飛ばし始めた。あれほど応援しがいのある者はいない。 気持ちがいい。また競技場内にもどって,土谷君を探す。 彼は,ゴール近くの芝生の上でねころんでいた。しばらく彼も起き上がれない。 勇者にとっても,このマラソンは,まなやさいいものではなかったようだ。 彼のタイムは3時間58分32秒。彼は,周りの友達にフルマラソンに出ると言ってきたらしく, 多くの激励を受けて来ている。本当は相当のプレシャーを感じてたかもしれない。 なんとしても4時間を切りたいと思っていたようだ。 最後のダッシュで4時間を切れ,念願が達成できたと喜んでいる。 そのおかげか,後は,まるで病人のように,がにまたで,ゆっくりとしか歩けなくなってしまった。 しかし,これこそ,42.195Kmを走り抜いた勇者の勲章ではなかろうか。

11。勇者中井 もういちど,道路にもどったら,タイミングよく,中井君がやってきた。
”中井君がんばれ,ゴールはもうすぐだぞ!がんばれ,がんばれ!”
と叫ぶ。 彼は疲れを思わせない晴れ晴れとした良い顔をしている。 きっと,42kを走り切れる喜びが,顔に出ているのだろう。 足取り軽く,ゴールへ向かっている。 もう一度,競技場内に,水をもっていく。 中井君に飲ませてやろう。 かれもたぶん倒れている。 芝生の上を探すといたいた。 やはり,倒れている。
”やー,ご苦労さん,これを飲みなさい。”
かれのタイムは4時間35分35秒。立派だ。 42.195Kmを走り抜いたのに,かれは,意外に,疲れた顔をしてない。 ケロリとしている。 かなり打たれ強いタイプである。 さすがは大阪人。

もう一人の勇者坂本君はどうなったのだろう。 中井君,土谷君は,ここで,坂本君を最後まで待ちたいと言う。 しばらく,3人で話しながら,競技場内で待つ事にした。 制限時間まで,間がない。 彼らの話では,折り返し点までは,坂本君は,中井君の前に居たようだ。 その後の消息がつかめない。 ただひたすら待つことにした。

12。勇者坂本 そして,とうとう, 制限時間の5時間がやってきた。 場内の放送も秒読みをするし,ゴールに向かう数人も必死に走っている。 5時間の時,ピーと笛が鳴り響き,その直後にゴールした人に場内から,
”あーー”
というおおきなため息が漏れる。彼のタイムはもう計測されない。 同じく42.195Kmを走り抜いたのに,遅いというだけで,かわいそうに。 それにしても,勇者坂本は,現れなかった。 最悪の事態が頭をよぎる。 もういちど, 道路にもどると,なんと坂本君がいるではないか。
”どうしたの?”
”すみません,35kで関門に引っかかっちゃいました。”
彼は,バスに乗せられて,今しがたここに帰ってきたと言う。
”35kか,うーん”,
あとは言葉にならない。 残念,もうすこしだったのに。 あとわずか7k。 あまり,練習ができなかった坂本君にしては,35kを4時間,上出来というべきか。 彼はすこし,しょげてるが, 彼なりによく頑張ったと思う。 特に,前半の頑張りは,すごかったと思う。 ハーフまでのスピードをもうすこし持たせるスタミナさえつければ,彼はもっと,伸びるだろう。
”さあ皆で温泉だ。温泉で疲れを取ろう”
と言った時,初めて彼の顔に, 戦いを終えた勇者のすがすがしい笑顔がもどってきた。 そして,温泉のあったかいお湯のなかに,体を沈めた時,戦い終えた満足感と充実感が, ぬくもりといしょに体中を広がっていったのである。
終わり!! 






汗と涙のサブスリー!


   

2002年12月15日記録

     
  この原稿は,学内ニュースに載せるために依頼されて書きましたが、 健康志向のために走り始める人を励ますことができるならと思いHPにアップしました。


  “サブスリー”。この言葉は,フルマラソンに挑戦するランナーに取って, 特別な意味を持っています。
 42.195kmの距離をサブスリー(3時間以内)で駆け抜けるためには, 1kmを4分15秒以内というきついスピードで走り続けないと達成できないので, 我々のように自分の仕事を持つ市民ランナーにとっては夢でしかないのです。
もちろん私のように50才目前で走り始めたランナーには,まったく手の届かないもので, 私も一生のうちで一度もできないだろうと思っていました。
ところが,神様は意外性を発揮してくれますね。 なんと,私自身がサブスリーを達成したのです。

 私がランニングを始めたきっかけは,30才台に8年間もの長い間,腰痛で苦しんでいた事です。 寝ていても痛いほどの腰痛でした。
これを克服するために,歩き始めたのですが,始めのうちは,産医大への坂も歩いて上るとフウフウ言うくらい,運動不足がたたっていました。
歩き始めて8年ほどして,やっと腰痛が取れ,軽いジョギングができるようになったのが, 40台の後半でした。

この頃,医学部の古賀先生にランニングに誘われ,やがて, 産医大にも健康のためランニングをしている教職員の方々が沢山いることを知りました。
お互いに励まし合い,ランニングを楽しむために,“産医大走RUN会(はしらんかい)”を作り, 幾つかの駅伝レースに出場するようになりました。

“産医大のタスキ”を仲間につないでいく時の強い信頼感はなんとも言えず良いもので, 汗をかいた後,皆で飲むビールは最高の味がするものです。
こうして,ランニングの楽しさを覚え,フルマラソンに初挑戦したのが49歳。
それから毎年一回挑戦し,今年の第16回国際青島太平洋マラソン(宮崎)は5回目, 54歳での挑戦だったのです。

この時,私は前日から風邪を引き咳が出て,途中で棄権するかもと覚悟を決めて走り始めました。
前半はやはりスピードが上がらず,ハーフの折り返しは1時間30分31秒と出遅れ, 後半の疲れを考えると,サブスリーはきびしい時間でした。

しかし,ここから,“最後まで諦めまい”と追い上げを始めスピードを一段と加速しました。
ところが,なんと27k付近から,足音がぴったりとついてきます。
30kでもその足音は離れません。ついに横に並んだので,見ると同年輩のランナーです。
“すいません。後ろをついてきました。”とあやまっているその律儀さに感動し,
“いっしょにサブスリーをがんばりましょう”とエールを送り, それから二人並走して,苦しくつらい後半をお互いに遅れると励まし合って乗り越え, ゴールに飛び込んだのです。
時間は,なんと2時間59分16秒と18秒。

二人ともぎりぎりのサブスリーです。
ゴールしたあと彼とガッチリ堅い握手。
お互いに初のサブスリーで,“あなたがいたからできたのです”と感謝し合いました。

まぶしい太陽の下で互いの額の汗がきらきら光り,ふたりには汗と涙のサブスリーとなりました。
あまりにうれしくて、これまで応援していただいた皆さんに心より感謝して、  記念に以下のプリント付きの シャツを差し上げました。




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